タレント候補自体が泡沫だ。そんなのはいらない

さて、今月29日は私が暮らす千葉県の知事選挙の投票日だ。
なんていうか…こう…あまり興味がないというか、はっきり言えば候補のひとりを見た時点でどうでも良くなった。

タレント(元?)の森田健作森田健作 だ。

だいたい、日本の国政選挙はどういうわけか「投票率」のために著名な…或いはいわゆるお茶の間に人気のあるタレントや話題性のある人物を政党が公認候補として擁立する。これって、政治には直接どころかまったく関係のない話だ。そもそも、政党は政策を戦わせて選挙を戦い抜くのが本道のはず。なのに、それが出来ない。数年前から民主党がマニフェストマニフェスト と大騒ぎしているけれど、そんな選挙のための人気取りのような、絵に描いた餅同然のマニフェストならいらない。そもそも、マニフェストなんて言うのは宣言…程度の意味でしかない。言ってみれば選挙公約と似たようなものだ。それがどういうわけか民主党がマニフェストと大騒ぎしたからどこもかしこもという感じで使っているけれど、ぶっちゃけ「今の政権政党は駄目だ。うちの党ならこうする」と冊子にしたりして公表している。マニフェスト以前は選挙公約と言ったと思うが、どちらにしたって「こういうことをする」とお題目を唱えているだけ。

それに、選挙の方法自体もおかしい。
どうして候補は公の場で討論しないのだろう? いや、単に今の公職選挙法では出来ない…というだけなんだろうけど。出来ないのではなく、したくないの方がより正解なのかも知れない。そりゃ、国会中継とか見てるとあれは議論とか討論というよりは子どもが国会という場で文句を言い合ったり、論ったりしてるだけ。審議拒否なんて当たり前のようにあるし、本当にこれで国政をになっているって言う自覚あるのかね?

いや、自覚がないから、タレント候補なんて、安易にその人気と知名度で票を稼ごうなんて下策を何度も実行しているんだろう。これが選挙民を思いきり莫迦にしているんだってことに気づいてるのだろうか? …気づいてないだろうなぁ。とにかく、相手政党よりも一票でも多く票が欲しい。その為にはなりふり構っていられないというのが現状だろうから。ま、そうやって政治と選挙の本質から離れていることばかりやってるから、政治に対する関心は薄れるし、候補者の「政策」ではなく、イメージだけで変に期待をする選挙民も莫迦なんだけどさ。

もし、本当に政治に対する信頼を取り戻したいのなら、そして関心を高めたいのなら、堂々と政策を公の場で議論出来るようにして欲しい。街宣車で名前を連呼するだけの、くだらない選挙活動なんか必要ない。本当に必要なのは、候補者が自らの信念と政策をぶつけ合い、誰が相応しいのかを判断する場であり、手段だ。

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