マスコミ脳の恐怖

これは別に森昭雄森昭雄 の著作「ゲーム脳の恐怖ゲーム脳の恐怖 」をパロったタイトルではない。個人的に感じている事であることを、まず最初に断っておく。

マスコミ…マスメディアとの接点がない、などと言うことはまずない。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌にWeb…あらゆるメディアは常にマスコミと共にある。
これは否定出来ないし、排除のしようがない。新聞を購読しない、テレビを見ない、と言ってもWebでニュースを見るなんて言うことは今では普通に思えるような行動だ。だが、ここでもやはりマスコミとの接点は生まれてしまう。それだけにマスメディアの信頼性や正当性を疑わなければならないだろう。

時事的なネタになってしまうが、宮崎県の口蹄疫にしたって、マスコミが大々的に取り上げるようになったのはつい最近のこと。それ以前から口蹄疫が広がりつつあることは解っていた。まあ、これは政府も関係しているから政府批判もしなければならないのだろうが、それ以上に恐ろしいのがマスコミだと言うことを強く認識しなければならないと個人的には考えている。

なぜか?

マスメディアとそれを伝播する装置の発展によって、どういうわけかマスコミは正しいと言う認識が強いと思われるからだ。
その影響力は絶大で、とある番組で取り上げられた商品が店頭からなくなるなんて事は今でもあるし、ある番組で紹介された健康法は医者を悩ませている。が…マスコミはそのあたりを無視しているように思えてならない。彼らにとって重要なのは内容よりも視聴率だからだろう。また、その視聴率によって齎されるスポンサーマネーがなによりも大事だからだろう。
マスメディアとて私企業なので、儲けるためにはスポンサーマネーが大事になる。企業としては当たり前の活動だと言える。このへんは企業としては通常の活動なので何も言わないし、言えない。

が…日本のマスメディアは腐っている。腐りきっていると断言する。
理由? そんなもの、求めるならば田中角栄に言ってくれ。1957年、当時郵政大臣だった角栄がテレビ局の経営体力強化と言う名目で新聞社統合系列化を推し進め、今のように新聞を頂点としたテレビ、ラジオも含めたマスメディアの体勢を作った。おかげで、新聞はテレビとラジオを監視し、テレビは新聞とラジオを監視し、ラジオは新聞とテレビを監視するという相互監視及び相互批判が出来ない体勢が出来てしまった。おかげで、日本のマスメディアは腐る一方だ。

その上で、マスコミの連中は新聞を頂点とするその思想に冒されていく。これを一次マスコミ脳感染者と呼ぼう。
一時感染者はどうも自分たちをエリートだと勘違いする。…まあ、そりゃ報道機関なんていうところにいるから、エリートと言えばエリートなんだろう。だから、決して自らの誤りを認めようとしない。相互監視もされないし、相互批判もほとんどないのだから、そうなって当たり前なのかも知れない。
しかし、重要なのは二次マスコミ脳感染者…つまり、無防備というか、脳天気にマスメディアの垂れ流す情報というか、言い分を鵜呑みにしている一般市民があまりに多すぎると言うこと。

その昔、テレビは頭を悪くする、と言われたが、それは間違っていない。テレビも含めた、マスメディアが使う媒体は潜脳装置と言っても良いのだから。
だからこそ、我々はマスコミを監視し、批判しなければならない。その意味では、こうしたブログなどが役に立つだろう。ニュース、或いは事件にしても押しつけがましいとも言える一次マスコミ脳感染者のわけの解らないコメントや主観から別の視点を与えてくれるのだから。とは言え、個人の日記やブログが正しいとも限らないから、一時マスコミ脳感染者たちが報道するものも見ておかなければならない。その上で自分で考えなければならない。テレビや新聞の記事や報道を見て、考えたつもりになってしまうと、そこで思考停止になってしまい、結局、マスコミや政府の思いの儘にされてしまう。

日本にジャーナリズムというものがあるのならば、この腐った現状を打破できるのかも知れない。だが…日本にジャーナリズムは、そしてジャーナリストは本当に存在するのだろうか? 存在しないのならば日本は腐り、墜ちていくだけだ。

頭の中が鳩ぽっぽな首相が国を滅ぼすのではない。
一般市民こそが国を滅ぼすのだ、現代では…。

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